執筆

南米 (アルゼンチンとブラジル) の実験動物センター

伊藤豊志雄

 ICLAS Monitoring Center の支援活動の一環として実験動物の生産ならびに微生物モニタリングに関する技術指導の目的でアルゼンチンのLa Plata 大学の実験動物センターを2001年2月から約3週間訪問した。アルゼンチン到着後予定の変更があり、急遽ブラジルのCampinas 大学 (UNICAMP) へも足をのばすこととなった。南米の実験動物科学あるいは一般的な事情を紹介せよとの三枝編集委員長からのお勧めがあり、ここにその時に感じたことも含めて報告する。

1. アルゼンチン

La Plata大学獣医学部、実験動物センター

 実験動物センターはLa Plata大学獣医学部の一角にある。この獣医学部はJICAの支援のもと、国立予防衛生研究所や東京大学農学部が中心になり、日本との交流が盛んに行われており、同センターもJICA支援の一環として建設された。実中研とはセンターからの研修生を受け入れたこと、センター長のDr. Cecilia CarboneがICLASの理事であり、実験動物の品質検査のための試薬の分与等を行ってきたという関係があった。
 センターはバリア施設を有し、SPF動物の生産供給を主業務としていた。4系統の近交系ラットと5系統の近交系マウスならびにSwiss背景のアウトブレッドヌードマウスが生産されていた。生産数ならびに供給数はあまり多くなく、センター長は大学のサポートがあれば、施設を増設し、アウトブレッドマウスとラットの生産にも取り掛かることを望んでいた。センターでの微生物モニタリングは当初、国立予防衛生研究所の支援のもとで開始され、遺伝モニタリングは我々の支援で開始されたため、日本のシステムが採用されていた。感染症の検査体制は隣接する獣医学部の微生物学研究室が使えるため、比較的充実していた。
 センターでは他施設の動物の感染症検査も実施しており、センター外では様々な病原体汚染が見出されるようです。研究室での作業中に停電があり、全ての作業がストップした。この動物施設には自家発電装置があったが、その日は獣医学部全体では我々が帰る時刻まで停電が続いていた。電圧の不安定、停電 (夏場に多いとのこと) 、アルミキャップなど細かなものが無い、脱繊血など生物材料を簡単に購入できないなど、研究遂行の基盤整備はまだ不充分なようであった。

Buenos AiresとLa Plata

 空気のきれいな所という名の首都Buenos Aires、 そこから100Kmほど南のLa Plata、両者はLa Plata川の河口に位置するアルゼンチンの代表的な町である。首都であるBA周辺の人口は1400万人、この国のおよそ1/3がこの町に集まっていることになる。両都市に摩天楼は無く、比較的低く、古い建物が連なっていた。両者の町並みはスペインやイタリアといった南ヨーロッパに酷似していた。両国からの移民が圧倒的に多いから当然のことか。
 La Plataに2週間ほど滞在した。当地の2月は真夏で気温は昼間40℃を示したこともあった。乾燥しているせいか、日差しは強烈であったが、日本の暑いという感覚とは異質でした。ちなみに、私のホテルは冷房が無かった (天井に扇風機) にも係らず、眠ることはできました。町の目抜き通りの店の中でビールを飲みながら眺めていると、上半身裸の男性、臍出しルックの女性ならびに野良犬が闊歩し、違法の荷馬車 (道路を走ることは禁止されている) が多く見とめられた。
 アルゼンチンの食べ物はワイン、ウシ、ヒツジ、そして名前は忘れたがパイ生地でチーズ、ハム、肉、野菜などいろいろなものを包んだ大きな餃子様なものをオーブンで焼いた家庭料理いずれも美味です。日本食も高価ではありますが楽しめます。日本人の移住者も結構居るようです。かれらの勤勉さとまじめさから、アルゼンチンの人は日本人に好感を持っているようでした。レストランの開店が午後8時以降、なにせ夜更かしの国である。
 経済的には成功していない感じを受けた。事実、貧富の差は大きく、大学の職員でも5時以降にアルバイトをしている者もいた。道路には新聞やお土産の売り、車のガラス譜きのため子供が働いていた。これは夏休中からか? 物乞い、荷馬車、教育が行き渡らないことによるゴミの分別収集ができないこと、運転マナーの悪さ、日本では絶対に見ることができないガタガタの自動車、一方、ポロを楽しむような裕福な少数の不在大地主の存在、経済の南北格差問題を如実に感じさせられた (一次資源を北に吸い上げ、三次製品を売りつけ、さらに不用となったものを南に押しつけ、なけなしの金をまきあげる) 。

Patagonia

 週末にパタゴニアツアーに参加した。飛行機を乗り継ぎ片道4時間、南米大陸の南端パタゴニアの入り口、この国で最大のアルゼンチン湖のほとり、Carafateに到着、そこから朝、近くの丘の新雪と道路際の凍っている水溜りを見ながら人家や立ち木を殆ど見かけぬだだっ広い農場の中のデコボコ道を車で2時間、さらに高速船に乗り数時間、湖の中に浮かぶ氷山とその氷山の元になる氷河の末端に到着。そうです。ここは南のはずれの氷の国への入り口でした。この地は現在、旅行客を世界中から集めるための開発が進行中でした。

2. ブラジル

UNICAMP (Campinas University) CEMIB

 トロピカルムードのSao Paulo (サンパウロ、SP) から高速道路で100Kmほど北上、1時間でCampinasへ到着しました。道路際にスラムは点在しておりましたが、アルゼンチンよりきれいな自動車が多く走っていました。経済的にはアルゼンチンより良好なようです。SPは日本でもなじみの大都会ですが、Campinasは人口100万人ほどの町で、複数の大学があるようです。私のホテルは繁華街の中心に在りましたが、夜は一人で出歩くなと言われた。
 キャンパスは35年前に州立大学として開設されたということです。大学の敷地は極めて広く、3階以下の低い建物が点在していた。学生数は1学年3500名。裕福な家庭の子女が多いということで、殆どの学生が自家用車を持っているようで、駐車スペースの確保が大きな問題のようでした。研究室の施設と設備は充実しており、最新の研究が行なわれていることが推察された。多くのマスターとドクターコースの学生を抱え、女子学生が多い。彼らも卒業してからの就職は大きな問題のようでした。
 動物センターは大学内の独立した施設で、関係者は70名、動物維持のために数多くのビニールアイソレーターを維持し、マイクロサテライトマーカーを用いた遺伝モニタリング、抗体検査、細菌検査と寄生虫検査によるFELASA (Federation of European Laboratory Animal Science Associations) に準じた微生物モニタリングさらに2細胞期胚の緩慢法による凍結保存が行なわれていた。これまで大学の研究室の一部を間借りしていた品質検査部門は、センターに隣設した新たな施設が建設中でした。系統維持の為に多数のアイソレーターを維持している理由として、この国が動物など生き物や薬品を海外からの購入・導入することが極めて面倒であるという特殊事情があるようです。すなわち、その都度、大学に申請し、国の許可を得なければならず、そのために多くの手続きと時間がかかるということです。
 遺伝モニタリングと凍結保存の責任者、微生物モニタリングの責任者はフランスやドイツでそれぞれ数年間の研究経験を持っていた。何せ積極的なやつらで、質問の連続、わかるまでしつこく聞いてくる。PCR検査のためのプライマーは国内で入手できるが品質は良くない。実験動物の飼料の生産業者は国内にあるが、今後数を増やし、競争させたいとのことでした。センターでは自前のチップの作製小屋を持っていた。

両国の実験動物事情

 いずれも実験動物専門の生産業者は無く、それぞれの国の実験動物科学については、センターが中心的な役割を果たしていた。これは両国に限ったことではないが、中米諸国においても自国の材料で、創薬に役立つ新たな有効成分の発見をしたいという強い意欲を感じますが、その基盤は必ずしも充分ではない。La PlataとCEMIBの本格的な交流は4年前からはじまり、それぞれの責任者が相互に訪問し、長期の研修生派遣、講師の派遣・指導、セミナーの開催が行なわれている。両センターを比較すると、La PlataよりCEMIBのほうが規模と内容、さらには経済的にも恵まれている。この差が、国力に由来するのか大学の経済力に由来するのかは不明であった。

訪問地での印象

 BAでの最初の印象は“南ヨーロッパ”で、SPでのそれは“熱帯と中米”でした。僅か数日の滞在で断定的なことは言えないが、食べ物はアルゼンチンのワインと肉は美味であった。しかし、ブラジルでもポルトガル系の魚料理、うまい焼酎にも巡り合うことができた。普段、デザートに手を出さない私ですが、マンゴージュースとアイスクリームをまぜたものにカシスリキュールをかけたデザートは最高でした。それぞれの国はそれぞれ特徴があります。彼らは実験動物分野で両者手を携えて進み、ヒトを含む生き物の健康や科学の進歩に貢献しようとしております。今後も微力ながら彼らのお手伝い、あるいは我々が助けてもらうべく、良好な関係を維持していきたいものです。