伊藤豊志雄
このセクションは疾患モデル動物の話である。しかし、私に課せられた課題は疾患モデル動物そのものではなく、動物を取り巻く環境の一環としての感染症の話である。この問題が取り上げられた理由は2つ考えられた。一つは環境要因としての感染症が病態発現に及ぼす直接的影響と、疾患モデル動物が感染病に汚染した場合におけるそれら動物を用いた複数の研究機関あるいは国際的な協同研究の障害といった間接的影響である。これらの影響を中心に、これら動物の微生物モニタリングといった読者には耳慣れない考え方、実施方法、さらにはその結果から導きだされた問題を紹介する。
疾患モデル動物はヒトあるいは家畜などの病態の解析や治療に役立てるため、類似した疾患を実験動物において作出し、使用しようとするものである。当初の疾患モデル動物作出は、動物飼育の過程で見出された異常動物 (特徴的病態を示す動物) 、突然変異誘発処理によって見出された突然変異体、あるいはあらかじめ目標設定された病態を育種学的手法によって固定する方法、あるいは動物に実験処置を加えることによっておこなわれてきた。病態動物を作出する方法として、実験動物に様々なmutagenを処置し、突然変異動物を見出す試みも行われてきた。この方法は、遺伝子の役割を調べるには有効な手段であった。しかし、特定の病態を意図的に作出する病体モデル動物の作出には不十分で、この目的のためには遺伝子操作技術、胚操作技術の確立を待たねばならなかった。このような疾患モデル動物の供給体制を見ると、実験処置を加えることによって作出されるモデル動物は実験者自らが準備した。高血圧、糖尿病などといった症状を示すモデル動物は、それらを使用する実験者が多いこともあって生産業者によって量産され、供給されてきた。一方、遺伝子操作動物の出現を境にして、疾患モデル動物の作出・供給体制は大きく変化した。すなわち、作出されるモデル動物の種類がこれまでと比較にならないくらいに増加し、かつ、それら動物の供給源は大学や研究所といった研究機関となった。
実験動物学に係ってきた者は、実験成績の再現性を高めるため、動物の品質と動物実験の精度向上に努力してきた。当初は個別的に、それぞれの研究機関において自らが使う動物を自らが生産していた。このような状況においては実験動物の品質向上は遅々としていた。実験動物の品質向上の主体は、感染症のコントロールである。動物の生産が個別的であった状況から、動物の生産が集中化され、実験動物の生産を専業とする業者によるいわゆるSPF (Specific Pathogen Free) 動物生産・供給システムが確立されることによって実験動物の微生物学的品質向上の目的は一応達成された。現在、我が国においてはマウス、ラット以外に、モルモットやウサギもSPF動物がこのようなシステムによって供給されるようになっている。一方、動物実験を実施する側としては、SPF動物の供給体制が確立されて以降、製薬企業などによる安全性試験では、GLP (Good Laboratory Practice) 施行以降、バリア施設の普及による感染症の無い環境下での実験が通常となった。一方、大学などの実験施設においては多数の実験者が多種の動物実験を実施するためと、厳密なバリアの設置・運用が困難であるため、微生物コントロールは困難で、幾つかの感染症がいまだもって認められる施設も多い。このような生産施設や研究機関の動物実験施設における実験動物の微生物学的汚染状況は、わが国より米国においてはより深刻と聞く (文献) 。
小規模であったため、品質管理に充分な配慮ができなかった。
遺伝子操作動物の出現以前の疾患モデル動物作出方法は、動物飼育の過程で見出された異常動物 (特徴的病態を示す動物) や突然変異誘発処理によって見出された突然変異体、あるいはあらかじめ目標となる病態を設定し、それぞれ突然変異体や病態を育種学的手法によって固定する方法によって作出されてきた。このようは方法によって作出された疾患モデル動物の多くは、その種類が多くないこともあって、実験動物の専門業者、いわゆるコマーシャルブリーダーによって生産・供給されてきた。
SPF動物の量産体制の確立 (アウトブレッドと高血圧、糖尿病などの病態モデル動物)
コマーシャルブリーダ-からの供給と、企業や研究機関での使用
実験動物の品質管理システムとしての微生物モニタリング
一方、遺伝子操作動物の出現以降、疾患モデル動物の作出法は一変した。すなわち、ヒト疾患と同じ原因によって、類似した病態を示す動物を意図的に作り出すことができるようになったことである。遺伝子導入、ノックアウトあるいはノックイン動物は、同様な手法によって扱う遺伝子を変えるだけで多種の病態動物を容易に作出可能となった。これは動物作出が個々の研究機関で容易に実施可能となったことを意味している。その結果、多種類の病態動物が多くの研究機関で短期間に作出されるようになった。さらに、作出された動物の目的が遺伝子の機能を生体で確認する目的が多いため、動物数はそれほど多くを必要としないといった特徴が認められた。さらに、作出された病態動物の特徴等を詳細に検索するための研究所間の共同研究も精力的に行われるようになった。
一口に実験動物といっても動物実験の目的のためだけに生産された動物以外に、家畜やペット (最近ではコンパニオンアニマル) あるいは最近では殆んど使われなくなった野生捕獲動物などの動物実験へ転用された動物が含まれる。表1に示したごとく、実験動物学分野では前者を実験動物、後者を実験用動物として、両者を峻別している。この狭義の実験動物の中でも、マウスとラットは医学生物学の実験に使用されるために近交系や交雑系など遺伝的コントロールと感染症の無い状況で維持されるといった微生物コントロールが十分になされたまさに動物実験のために人工的に生産された動物であり、化学実験に使われる試薬に相当するものと考えることができる。
試薬にその等級があり、品質検査成績が添付されているごとく、実験動物においても実験遂行に障害となったり、実験成績への影響を無くするために、動物の品質に関するスペックを決め、そのスペックに合致しているか否かを検査によって確認していく作業が不可欠で、これをモニタリングという。そのモニタリングの対象となるものとして、動物の遺伝的要因、ならびに動物を取り巻く環境要因としての感染病の有無が挙げられる。なかでも微生物モニタリングは以下に示すような特別な理由によって重要なものと認識されている。この微生物モニタリングには感染症と、感染症ではない正常細菌叢とを対象にしたものとに大別されるが、今回は前者について言及する。
感染症の特徴: ①は微生物が動物体内で自己増殖するということである。動物施設内に有毒物質が持ち込まれても、その供給源を絶てば影響はそれ以上拡大しない。しかし、感染症においては感受性宿主内で増殖した微生物は感染動物から他の非感染動物へと感染が拡大していく。②は動物施設の飼育形態の特徴に起因するものである。実験動物施設では、同一動物種が同じ部屋に多数飼育されるのが一般的である。感受性を同じくする動物が同じ部屋に多数維持されているわけであるから、一旦施設内に持ち込まれた (侵入した) 病原体は同室内あるいは同じ施設内の他の動物に速やかに伝染する。③は実験動物に固有の問題で、動物実験が動物に様々な実験処置を加えて反応を観察したり、その動物から材料を採取する作業であるということである。実験処置は動物への大きなストレスとなり、ストレスを加えられた動物は感染に対し感受性が高まり発病し易くなる。よって、一旦病原体の侵入を許した動物施設においては、侵入病原体に起因する様々な問題が発生する。
感染の影響: 感染の影響を表2にまとめてみた。微生物が人獣共通病原体であれば実験者や飼育者にも感染・発病させるため、施設の閉鎖を含む動物施設管理全般に重大な支障を来たすことは明白である。動物に対する病原性が強い微生物であれば動物の生産 (繁殖) に大きな影響が現われ、場合によっては系統の断絶も起こる。さらに、動物実験においても実験の継続が困難になる。動物を発病させることが稀な病原性の弱い微生物であっても、感染動物と非感染動物では生理的状態は異なり、その結果、動物実験成績の再現性が低下する。また、感染していても発病していない (不顕性感染) 状態でも、動物の免疫系を抑制するような実験条件下では宿主の感染抵抗性の減弱によって不顕性感染の顕性化 (病気の誘発) が起こることがある。こうなると、病原性の強い微生物の感染と同じような状況となり、場合によっては実験成績の読み取りを誤らせることにもなりかねない。さらに、不顕性感染の場合は、その病原体が臓器内など体内に潜んでいることがある。マウスの病原体として報告されているウイルスの中には、マウスに対する病原性は弱く不顕性感染の経過をたどるが、マウスの臓器内に長期間潜む持続感染するものが多く知られている。このような微生物に感染した動物から採取された糞便、尿、血液、細胞あるいは臓器は病原体に汚染される。臓器への微生物の混入が原因で他の動物への感染源となった例として、20年ぐらい前に盛んに行われたげっ歯類の癌ウイルス検索にあたって、癌組織から分離された多くのウイルスが癌とは無縁な臓器への混入ウイルスであったという事実が挙げられる。このように、臓器に混入した微生物は研究の障害となる。さらに病原性の弱い日和見病原体といわれるものであっても強い放射線照射や免疫抑制処置などといった実験処置によってはその実験成績に影響を与えることは良く知られている。さらには、最近の傾向として、ミュータントとしての免疫不全動物や免疫に関わる遺伝子を破壊された動物といった免疫機能の低下した動物が多数維持されるようになっている。これら動物は感染に対する抵抗性が低く、普通の動物では発病することがまれな病原性の弱い病原体の感染によっても発病し、場合によっては死亡するといったことも起こる。
遺伝子操作マウスの微生物検査の結果、常用されている大量生産マウスに比べて、病原体に汚染される確率と感染して発病する確率が高いという傾向が認められた。
マウス肝炎ウイルス (MHV) : マウスで最も汚染が拡大しているウイルスである。病原性や臓器親和性を異にする多くの株が分離されている。MHVは病原性の弱い株が世の中に広がっており、通常のマウスは発病することはほとんど無いが、乳飲マウスや免疫抑制マウスでは発病する。遺伝子操作マウスを多数維持している動物施設での汚染事故が散見されている。
Pneumocystis carinii (カリニ) : 免疫不全マウスに致死的な病原体であり、T細胞やB細胞系のノックアウトマウスでの感染事故が高頻度に認められている。
Pasteurella pneumotropica (パスツレラ) : 通常のマウスに病原性を発揮することは稀な病原性の弱い細菌である。しかし、上記のカリニや他の呼吸器病原体と混合感染することによって、病変を増悪させる。カリニとの混合感染によって、B細胞機能ノックアウトマウスの死亡率が50%となった例も報告されている。
消化管内原虫: 消化管内に寄生するアメーバや鞭毛虫類で、その多くは非病原性とされている。非病原微生物を検査する理由であるが、これらは帝王切開由来、バリアで維持され、微生物モニタリングもされている厳密な意味でのSPFマウスでは検出されない。一方、微生物コントロールが不十分なコンベンショナル施設由来マウスでは高率に検出される。このことから、これら微生物を調べることは動物が由来した施設の微生物コントロールの程度を推察する良い指標になると考えられるからである。遺伝子操作マウスにおけるこれら消化管内原虫の汚染率は高い。
実験動物としてのマウスではなく、あえて遺伝子操作マウスと限定した理由を考えてみた。そこからは遺伝子操作マウスの出現を契機にした実験動物を取り巻く状況の大きな変化が見えてくる。遺伝子操作マウスの出現以前、実験動物分野では生産者と使用者がある程度明確に分かれていた。すなわち、生産業者によって大量生産された規格品である動物を使用者である研究者が購入し、実験に使用していたという構図である。このような動物の一方向性の流通下では、動物の品質管理を少数の大手生産業者に委ねることで事足りていた。しかし、遺伝子操作マウスの出現以後、実験動物は生産者と使用者が明確に分けにくくなってきた。すなわち、研究施設で遺伝子操作動物が作出され、それが複数の研究機関で使用されるケースが格段に増加してきたということである。さらにもう二つの問題点を付け加えれば、一つはこれら遺伝子操作マウスが作出される過程での実験動物研究者との協力不足に起因する遺伝的あるいは微生物学的品質の不十分な動物が世に広がったことが挙げられる。すなわち、分子生物学研究者の多くは自らが取り扱っている遺伝子やそれによって発現する形質には興味を持つが、その遺伝子を担う実験動物の品質に無頓着で、その結果、微生物学的品質に問題がある動物が作出されてきた傾向は否めない。さらに、ノックアウト動物はサイトカインなど生命の維持に重要と思われる機能を抑制あるいは停止させられたものが多い。これら動物の多くは感染に対する抵抗性が減弱したいわゆる易感染性を示す。すなわち、これら動物は免疫学的に正常な動物であれば感染しても発病することは無い、あるいは発病することが稀である病原性の極めて弱い微生物の感染であっても発病し易く、場合によっては感染死するということが起こる。この動物の流れの複雑化、作出された遺伝子操作マウスの微生物学的品質に問題があること、さらには、作出された動物の多くが易感染性を示すことから、遺伝子操作マウスの微生物モニタリングがこの「分子細胞治療」という雑誌に敢えて取り上げられた理由と考えられた。
動物を作出し供給する側と、これら動物を受け入れる側に分けて対策を考えるべきであろう。
動物供給側: 遺伝子操作マウスの供給者は動物を生産・供給しているという自覚を持つべきである。通常のミュータント動物は複数の施設で維持されていることが多く、動物を使用する際には導入施設の選択ができる。しかし、遺伝子操作マウスは、動物の供給源が動物を作出した施設に限定され、同じ動物を他施設から導入することはできない。その貴重な動物を用いた他研究機関との共同研究を円滑にすすめるため、遺伝子の担体としての動物の品質にも十分留意すべきである。自ら供給した動物が原因で、動物受入側に多大な迷惑、研究の障害を与える可能性があるということを認識して欲しい。
動物受入側: 動物受入者は外部からの動物導入にあたってはその微生物学的品質に十分な注意を払うべきである。そのためには動物への微生物モニタリング成績の添付を義務付け、検疫体制を充実させ、汚染の可能性の高い動物をどうしても導入しなければならない場合にはそれら動物を隔離できる施設や設備を完備する必要がある。
なお、一旦感染が起こってしまった場合、その汚染微生物を排除する方法がある。現在は一般的に採用されている方法は下記の帝王切開法と受精卵の移植法とである。前者は汚染動物を交配し帝王切開によって得られた仔を病原体汚染の無い里親へ里仔する方法である。後者は、対外受精あるいは交配によって得た受精卵を病原体汚染の無い偽妊娠親の卵管や子宮内への移植し、仔を得る方法である。その他の方法である抗生物質を用いた治療は、病気の軽減には役立つが、多くは病原体の感染個体からの完全排除は困難な場合が多い。また、一部のウイルス感染においては、感染耐過した親から仔をとることによって、汚染の無いコロニーを立ち上げることも可能である。
遺伝子操作マウスの開発・作出にあたっては、それら動物の特質や有用性の検索のため、複数の研究機関にまたがる共同研究が一般的である。感染症の存在といった微生物学的品質が理由で研究の遂行に障害となることは大きな無駄である。この無駄を回避するため、動物作出の過程から、実験動物の専門家との連携をとりながら、微生物学的品質に十分留意していくことが重要である。その微生物学的品質を確認するには微生物モニタリングを実施し、その成績をもって対応を決定していくことが不可欠である。
人畜共通伝染病による飼育者・実験者の感染、あるいは病原性の強い微生物汚染による動物生産や動物実験への影響は明白である。しかし、病原性の弱い感染であっても、感染動物の生理的状況の変化による実験成績への影響、実験処置による不顕性感染の顕性化、あるいは臓器内への微生物の混入といった事態の招来が危惧される。以上の理由から、実験動物の微生物コントロールは重要な課題となる。そして、コントロールが適切になされていたことを定期的に検査することによって評価する作業を微生物モニタリングというわけである。具体的には、特定の施設を対象にし、特定の項目 (感染があってはならないとする微生物) について定期的に繰り返し検査 (抗体検査、培養、あるいは顕微鏡下の微生物検出など、通常の微生物検査の組み合わせ) することによって生産動物や動物実験への当該微生物の関与が無かったことを確認あるいは場合によっては保証する作業である。
疾患モデル動物はその病態発現に影響を与える諸要因が存在する。すなわち、動物の環境要因、とりわけ感染病の統御が重要で、それが十分に行われていることを確認する手段として微生物モニタリングがある。その結果、普通の実験動物に比べて、疾患モデル動物の微生物学的品質は必ずしも十分とはいえない。疾患モデル動物の感染病汚染は、研究施設間における疾患モデル動物授受の障害になっている。