伊藤豊志雄
実験動物の分野では動物実験に影響を与える様々な因子を一定にすることによって、すなわち実験処置以外の要因をできるだけ同じにすることによって実験の再現性を確保しようとしてきた。この要因については動物そのものの遺伝要因と動物を取り巻く環境要因とに分けられる。環境要因については温湿度や照明などといった物理因子、栄養や臭気などの化学因子ならびに飼育者や同居している同種動物などの生物因子に大別される。ここでモニタリングの対象となる微生物は生物因子の一つということになる。さらに、この微生物も、動物に病気を引き起こす病原微生物と、正常細菌叢と括られる非病原微生物とに分けられる。我々が感染病モニタリングではなく微生物モニタリングと称している理由の一つに、検査項目に非病原性微生物も加えていることが挙げられる。よって、微生物モニタリングは動物を取り巻く環境コントロールの一環であると位置付けられる。
実験動物の微生物検査は、発病動物の異常原因を追求のための診断、汚染現状を知るための調査や動物の品質管理のためのモニタリングなど様々な目的で実施される。ここで述べる微生物モニタリングとは、特定のバリア施設を対象にし、そこで飼育されているSPF動物について、定期的に繰り返し特定の微生物の有無を検査することによって、動物の品質や、当該微生物の関与が無く動物実験が実施されたことを確認あるいは保証する作業である。あえてここでバリア施設やSPF動物と言った理由であるが、微生物コントロールの不十分な施設で飼育されているいわゆるコンベンショナル動物について実施される微生物検査とは意味が異なると考え、それとは一線を画す意味で使っている。
感染症の検査方法は、動物から臓器など材料を採取し、そこから病原体そのものを検出する直接的な方法と、血清を採取し抗体を検出する間接的な方法とがある。直接的な方法の中には、培養によって病原体を分離したり、寄生虫などのように顕微鏡下検出する方法や、それぞれの病原体に特異的な抗原や核酸配列を検出する方法がある。培養は病原体を増殖させるため、動物実験施設の傍らでその作業をすることは敬遠されてきた。抗原検出方法としては組織標本などを用いた免疫染色が、核酸検出方法としてはそれぞれの病原体に特異的なプライマーを用いたPolymerase Chain Reaction (PCR) が常用されている。最近では、経費はかかるが、結果が短時間で得られ、病原体を増やすことなく検査ができ、さらに感度と特異性に優れているという理由によって、PCRの重要性が高まっている。しかし、この直接的な方法は、感染後期に病原体が体内から排除された時点では無効となる。一方、抗体検査は、それぞれの病原体に対応した抗原を準備すれば、血清という一つの材料で検査ができ、さらに現在では一部の病原体については抗体検査キットも入手可能であり、病原体を増やすことなく微生物検査ができるという利点もある。しかし、抗体検査には感染後血清中に抗体が検出されるようになるまでに時間がかかる (1週間以上) ことから、感染初期であって今まさに発病している個体では抗体が検出限界以下で、反応陽性を示さないという欠点がある。それぞれの検査方法の長所短所を十分に理解し、さらに病原体ごとの病気の特徴も理解した上で、微生物検査の目的別に採用する検査方法を選択する必要がある。すなわち、微生物検査には一つの方法ではなく、複数の検査方法が一般的に採用されるが、診断には病原体の検出が、モニタリングには血清反応が主たる検査方法となるということである。
人や家畜などにおいて一般的に感染症コントロールの対象となるのは病原性の強い微生物である。しかし、実験動物の感染症コントロールの特殊性に、病原性の弱い微生物も検査対象となることが挙げられる。その理由は以下のごとくである。実験というストレスにさらされる実験動物は、感染に対する抵抗性が一般的に低下する。このような状態で感染が起これば、たとえ病原性が弱く通常は不顕性感染に終始するような微生物であっても発病し、場合によっては致死的となることもある。さらに、実験動物分野では免疫不全動物が広く使われており、これら動物は当然、感染に対する感受性が高く、ストレス動物と同様あるいはそれ以上のダメージを受けることとなる。不顕性感染の顕性化は実験の中断や再現性の低下を招来することは明らかである。さらに、げっ歯類のウイルスには病原性が弱く、不顕性感染となるが臓器内に長期間潜伏するものが多くある。このような潜伏感染動物由来臓器はウイルスによって汚染されることとなる。過去、癌ウイルス研究の過程で、癌組織から分離された多くのウイルスが癌とは無関係な不顕性感染によって組織に混入したものであったことが後日判明し、研究の障害になったことは良く知られている。このように、たとえ病原性が弱い微生物であっても、その感染の結果、動物実験に様々な影響を与えることは容易に理解されよう。さらに、我々は非病原性とされる消化管内に寄生する原虫などもモニタリングの対象に加えることを勧めている。その理由は、これら微生物が帝王切開由来、バリア施設で維持されたSPF動物では検出されず、コンベンショナル動物で多く検出されることから、これを調べることによって、動物が由来した施設の微生物コントロールの程度を推察できるからである。
微生物モニタリングの目的は、感染症のコントロールすなわち、病原体を持ち込まない、汚染動物を持ち込んでも拡げず囲い込むことにある。しかし、バリアの使用などといった感染事故発生防止の方策が取られていたとしても、感染事故は皆無にならない。感染事故の原因を挙げてみると、バリアや滅菌機器といった施設設備面での問題より、汚染動物や汚染生物材料の持ちこみや人や飼育器具を介した汚染の拡大といったソフト面の不備による場合が圧倒的に多いようである。汚染動物の施設内持込防止策は以下のごとくである。外部からの動物導入にあたっては、まず、自らの施設のハードとソフトの両面の現状を十分把握することが先決である。その評価に立脚し、微生物コントロールについての考え方を決める。その中には、動物受け入れにあたっては微生物学的品質の基準を明らかにし、基準に合致した動物のみを導入するようにすることである。その基準の中には微生物モニタリング項目が明示されることになる。一方、微生物学的グレードの異なる複数の動物室を有している施設では、施設内での病原体の拡散を防止するために、SPF動物のみならず、コンベンショナル動物の微生物検査も実施し、汚染状況を常時把握しておくことも重要である。
汚染源としての生物材料についての対応は以下のごとくである。動物から採取された臓器、細胞あるいは血清などが汚染源となり、移植や投与によってバリア内に持ちこまれることがある。米国では腫瘍の移植実験の場でLDHウイルス汚染マウス腫瘍株に分与によってウイルスが広がった例、エクトロメリアウイルス汚染マウス血清が汚染源となった例や、実中研では免疫不全マウスを用いたヒト腫瘍移植実験においてマウス肝炎ウイルス、乳酸脱水素酵素ウイルス、マイコプラズマあるいはヘリコバクターなど多くの汚染例を経験している。動物に投与するこれら材料については事前の検査が肝要である。汚染源としての飼育者、実験者についての対応は以下のごとくである。動物室毎における白衣、マスク、手袋、履物の交換、作業動線の作成、動物に直接触れないようにするなどといった作業マニュアルを作成し、遵守する。
以上をまとめてみると、動物や実験用生物材料を外部から導入するときには、それらについての検疫が不可欠である。導入先の動物については事前に微生物学的汚染状況についての情報収集が検疫の一助となる。一般的には、導入先の動物に微生物モニタリング成績を添付してもらうことによって、導入動物の微生物学的品質を把握できる。生物材料の汚染摘発には抗体産生試験やPCR法が有効で常用されている。また、一つの研究所で複数の動物室あるいは動物施設を持っていてそれぞれの動物室や施設で微生物学的汚染状況が異なっているところでは前述のように、病原体汚染の拡大を防止する目的で、それぞれの動物室の汚染状況をたえず監視し、汚染状況に合わせた施設管理のソフトを構築する必要がある。すなわち、1日の作業手順として、汚染の無い動物施設から汚染施設へといった動線管理を飼育者や施設利用者に徹底させることである。微生物モニタリングは感染病コントロールを確実に進めるために不可欠な手段である。